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【書評】知の体力

2020-10-20

書籍名「知の体力」 著者「永田和宏」 出版社「新潮社」

「知の体力」とは、これから何が起こるかわからない想定外の問題について、自分なりに対処するため、考えることができる力である。筆者である永田和宏氏は、細胞生物学者と大学教授という自身の立場から、現在の日本の教育機関の在り方、若者の勉強に対する考え方について疑問を呈している。現在の日本では勉強があまりにも目的と対になってしまってきている。試験で良い点をとるため、良い大学に入るためというのが一般的な勉強の動機とされている。学ぶというのは、決して効果、効用、見返りだけを期待して行うものではないはずである。高校までの初等中等教育を「学習」とすると、高校卒業後の大学での高等教育の主は「学問」だと考える。「学習」とは、問いには必ず客観的な答えがあり、先生はそれを教え、生徒は教えてもらうという役割分担により成立し、先生が教えることを生徒は正しい知識として習得することが基本である。そして理想的には誰もが同じ到達点に到るのが「学習」の目標である。「学問」は「学び、かつ問うこと」と解釈する。入ってきた「知」をいったんせき止めて、問うという行為に学問の意味がある。「学問」の場合は、必ずしも客観的な答えなどない。「学習」と「学問」はその態度、姿勢において異なったものである。一歩社会へ出てしまえば、そこはすべてについて答えというものがない世界である。例えば社会的、政治的な問題や人間関係を含めた問題などは答えなどない。それらの問題に対するためには「学習」ではなく「学問」の力が必要であると考える。その為に「知の体力」が必要なのである。「知の体力」をつけるためには、受動的な考え方から能動的な考え方へのシフトが必要である。筆者の研究室では、修士課程に入学してきた生徒をまずは3ヶ月、外国の一流の研究室へ派遣する。日本語のまったく通じない外国で、「教えられる」から「自ら問い、自ら行う」という受動から能動への意識の変革が起こる。「知の体力」をつけるには読書も必要である。「何も知らない存在としての自分を知ること、学問はそこから出発し、自分という存在の相対化が学問のモチベーションとなる」。勉強や読書をすることは知識を広げるためだけでなく、色々な考え方に出会って、客観的に自分を見つめる目を持てることに重要な意味があると筆者は考える。また読書を通じて「知へのリスペクト」を感じるという点からも重要である。一つの科学的事実が明らかになるまでに、先人たちがどれだけの時間を費やして、どのような実験や理論構築を経てされたものかを、つぶさに知ることで敬意を持つことが可能となる。その姿勢をもって「知」へと向き合う事が重要である。「知の体力」をつけるにはアウトプットの訓練も必要である。「アウトプットの方法を持たない情報は、知識としての価値を持たない」。現在の学校教育は教え込むというインプットに重心がかかり、それを引き出すアウトプットへの訓練が欠けていると筆者は考える。インプットされた情報は、「応用」として、もとの形から何らかの変換を通して、あらわれるはずである。アウトプットを訓練するためにはちょっと寄り道してでもいくつかの角度から知識を掘り下げて、様々な状況を想定して学ぶことが重要である。筆者は若い人たちが実社会で答えのない問題に直面したときに必要なのは「学習で得た知」ではなく「学問で得た知」、すなわち「知の体力」が必要であると考える。何か答えのない問題に直面して自分の考えが行き詰ったときに、再度読み返してみたいと思う一冊である。

桑村